NPO法人 あかい屋根

<前史>

菅生こども文化センター開館昭和50(1975)年5月17日

~母親たちの願いが実る~
野山を切り開き、人々が菅生に移り住んできたのは昭和40年代。子どもを育てるために、豊かな自然環境を求めてこの地に移り住んだが、子どもたちに「豊かな文化」も必要と感じた母親たちは、10年近い建設要望を行ってきた。
ようやく運動が実ったこの日、多くの住民と子どもたちが当時市長の伊藤三郎氏と握手を交わし、拍手がわいた。また、地域住民からはバザー収益金35万円の児童図書が寄贈された。

伊藤忠記念財団受賞昭和52(1977)年1月

~開館以来の活動が評価される~
開設以来、読書クラブによる児童図書の貸し出しや人形劇等によるおはなし会が、児童図書の普及に寄与していると評価され、伊藤忠記念財団より185万円の助成金を受賞する。

わんぱく生活学校開始昭和52(1977)年7月

~子どもたちの「リーダー」誕生~
キャンプを娯楽に終わらせるのではなく、生活力の向上に資するよう「衣食住」をテーマにした「わんぱく生活学校」を開始。以来毎年実施している。この学校を職員と共に企画・運営する中高生リーダーが誕生。その継続がやがて社会人に成長してもリーダーシップを発揮し、自治会やPTA役員などを積極的に引き受け、地域リーダーとしても活躍の幅を広げている。

おやじの会発足昭和58(1983)年3月

~父親たちも地域活動に参加~
教育委員会と共催して「父親家庭教育学級」を開催。当時、家庭教育といえば母親が対象だったが、父親に対象を拡大した取り組みと注目された。企業戦士として身を粉にして働いていた父親たちが、定年後に帰る居場所としての「地域」。また地域子育てに父親の参加も必要と感じ取った父親たちは、学級終了後に「いたかの会」を設立して現在に至っている。

蔵敷こども文化センター開館昭和63(1988)年4月

~学童保育の要望に応えて~
現在の菅生分館の敷地内にプレハブで開室していた学童保育。施設老朽化に伴い取り壊しが検討されていたが、学童保育に通わせる親たちの要望があがり、近隣の敷地にこども文化センターを建設して学童保育をそこに移転させて存続することとして蔵敷こども文化センターが誕生した。

菅生こども文化センター指定管理運営受託平成18(2006)年4月

平成18年度から川崎市の全こども文化センター及びブランチとしてのわくわくプラザが「指定管理者」に管理運営を委ねることとなった。NPOあかい屋根の前身である「菅生こども文化センター運営協議会」が菅生こども文化センター・稗原小学校わくわくプラザの運営に当たることが平成17(2005)年12月に決定し準備期間を経て運営を開始した。

菅生こども文化センターの改築平成22(2010)年4月

老朽化に伴い平成21(2009)年に建て替えすることが決定。住民や子どもたちの要望を取り入れて間取りを検討し、川崎市に要望を提出。ほぼ原案通りに設計されて改築されることとなり、平成22年度一年間は仮事務所での運営となる。

<NPOあかい屋根設立>

運営協議会を法人化平成22(2010)年10月

市民団体として指定管理者となり受託していた「菅生こども文化センター運営協議会」を母体として、社会的責任をしっかりと負うため「NPO法人」化を申請。受理されて「特定非営利活動法人あかい屋根」となる。

第2期指定管理者として運営開始平成23(2011)年4月

菅生こども文化センター・稗原小学校わくわくプラザに加え、蔵敷こども文化センター・菅生小学校わくわくプラザ・犬蔵小学校わくわくプラザを運営することになる。2つのこども文化センター及び3つのわくわくプラザの管理運営にあたる。

菅生こども文化センター改築完成平成23(2011)年4月

一年間をかけて改築工事を行っていた菅生こども文化センターが完成。稗原小学校児童による「稗原太鼓」などが披露されてお祝い会が挙行される。

菅生こども文化センターに「冒険遊び場」設置平成24(2012)年4月

宮前区役所の支援を受け、地域のボランティア及び職員によって冒険遊び場のメインになる「冒険タワー」が完成。子どもたちの思いがつまった遊具が近隣の大工さんの指導によって作られた。

福祉有償車両<福祉タクシー>運行開始平成26(2014)年9月

中古ながら軽自動車の寄贈を受け、地域の高齢化に対して住み慣れた地域で暮らし続けられるようにとの願いを込めて、福祉有償車両(福祉タクシー)を病院への送迎に限り運行開始。